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地 震 |
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地震
14日午前8時43分「岩手宮城内陸地震」が発生し多数の被害が出ている報道を見ました。 地震が発生したニュースを聞くと非常に悲しい気持ちになります。 それは、平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の出来事を思い出すからです。
当時、新入社員だった私は、震災発生5日目、平成7年1月22日に神戸市東灘区に在住しておられる新産グループ設計顧問、中村泰助先生(http://www.shinsan.com/as_co_staff/month/new 写真最下部)宅へ新産住拓小山英文社長(当時常務)、先輩社員の3人で被災のお見舞いと現地の状況確認及び、ボランティアを兼ねて現地へ向いました。連日のマスコミの報道で、悲惨な状況であると想像はしていましたが、実際に現地に入ってみて、言葉を失いました。駅前の鉄筋コンクリート造のビルが倒壊し、日常では想像出来ない全く信じられない光景が目の前に広がっているのです。 公共の交通機関が麻痺していましたので、目的地まで行くのに駅から3時間ほど物資を入れた、重いリュックを背負い歩きました。目的地に向かうまでの途中、被害の大きさを目の当りにして、恐怖と悲しみを感じました。全てのライフラインが断絶され、ガス漏れが発生し、非常サイレンを鳴らした車が、頻繁に走っていたり・・・。 沿道の家屋では、行方不明になられた家族を探す張り紙や、建物の下敷になり亡くなられた方のお知らせなどが至る所に掲示してあり、「この現代に戦時下で空襲にあったのではないか」と錯覚するほどでした。そのような光景を目にし、自宅で被災され亡くなられた方々のことを考えると、言葉はなく涙が込みあげて来る思いでした。地震が起きる直前まで、いつもと変わらない平穏な暮らしを営まれていた被災地の方々・・・。一瞬にして、人の命と幸せを奪ってしまう地震。もし自分がそこで暮らし、家族や大切な人を失っていたら・・・、とても耐え難い悲しみでしょう。 途中の状況が想像を遥かに超えるものだった為、中村先生の家は「いったい、どうなってるのか」と、心配でたまりませんでした。やがて先生宅に着くと、「良かった」と安堵感が広がりました。東灘区は、震災の被害が特にひどかった区域にもかかわらず、先生宅は外壁にクラックが入っていた程度で、無事に建っていたのです。その時に新産グループの設計基準の安全性を確信しました。 その後、第2陣、3陣と先輩方が現地に足を運ばれ、現地調査を行い、設計・施工基準を更に見直し、現在の新産グループの強固な耐震構造へと進化していきました。 自然災害の際に、自分のすまいが危険な箇所となり、命を落すことほど悲しいことはないと痛切に思います。自然災害時でも「自分の住まいが一番安全」とお客様に安心して頂けますことを更に目指し、おすまいづくりのお手伝いをして参ります。
追伸:完成したら見えなくなってしまう構造部分故に、おすまいづくりをご検討される際に、実際の建築中の現場等、足をお運びになりご自身の目で確認されるとことをお勧め致します。
奥田和博
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